2011年2月22日火曜日

「どうして英語を勉強するの?」

英語教育(英語学習)に関して、答えに困ってしまう質問の一つに以下のものがあると思います。


「どうして英語を勉強しなければいけないの?」


僕も、もし生徒がたずねてきた場合、この問いにどううまく答えていけるかと考えています。

この問いに対する一般的な答え、唯一絶対の正答というものは存在しません。
現に、そのようなものが存在しないために多くの識者や一般市民までもが様々な媒体を用いて英語の目的論について語っています。
本当に様々な意見が飛び交っていますが、有名なものはビジネス界からの声も大きく反映されている「実用主義」とその対極として考えられうる「教養主義」でしょうか。
しかし、ここで議論されている英語学習の目的に関する諸意見、これらをもってして生徒の質問の全てに答えることができるのでしょうか。

注意すべきは、これらの議論が往々にして「大人」の視点に立ったものである、ということです。
実用主義も、社会人として英語を使えることは激化する国際競争で日本が生き抜くために必要不可欠であるといったこと、対する教養主義も英語の知識以外のことも一国民として身につけるべきだということをうたっています。これらはすべて「大人」として求められることからバックワードで出された目標です。
(教養主義に関しては、福原鱗太郎が1936年に『英語教育の目的と価値』の中で「ただ英語の知識を授けることとは区別しなければならない。英語を教えながら「精神陶冶」に力を尽くすのである」と述べています(岡倉由三郎が代筆))
もちろん、「大人」目線で語られる英語教育の目的論について否定するつもりはありません。
ただ、「大人」目線のみで語るとそこにはどうしても抽象性が残り、現場の英語教師が子どもに英語学習の目的を説く際に「~主義」等の本質との間にギャップが生まれてしまうような気がします。

僕は、世間で語られる「大人」目線の目的論に加え、目の前の子どもたちの現状をしっかりふまえた答え方をしていくべきだと考えます。
児童生徒を前に、英語の実用性を訴えたり、もしくは教養性を強調することで彼らが満足した答えを得るとはあまり思えません。
彼らの視点で実現可能な、また「勉強したい」と思ってもらえるような答えを伝えていくことが大事なのです。
また、本稿の冒頭で「この問いに対する一般的な答え、唯一絶対の正答というものは存在しない」と述べましたが、それでも学習指導要領の目標に大きく乖離する言葉は慎むべきでしょう。
だからこそこの問いにうまく答えることは難しいのです。
そのようなことを踏まえ、すべからく英語教師は自分なりの答え方を持つべきだと思います。

ちなみに僕の中の答えは以下の通りです。
「英語を勉強すると、いろんな人とコミュニケーションがとれるようになる。そうすると、誰かとコミュニケーションをとってつながりあうことがどんどん楽しくなるんだよ。」
この答えは僕の「英語教育を通して生徒にコミュニケーションの楽しさと大切さを伝えたい」という信念に基づいています。
生徒にこの答えを言い、納得してもらえる授業をすることも大事ですね。
全てはつながっているのだと思います。

そして、子どもたちによって答えの表現も微調整する必要もあるでしょう。
例えば小学生にはもっと分かりやすい表現にすべきだと思います。

揺らがない答えにするためにも日々考え続けていきたいです。

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