2011年3月1日火曜日

僕の英語学習歴

僕は最近よく、コミュニケーションツール、情報ツールとしてTwitterを重宝しています。
そのTwitterのなかで、非常に興味深い試みが行われることを知りました。

それは
「英語教育ブログみんなで書けば怖くない!」企画です。
http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20110301/p1

anfieldroadさんの考えには非常に共感できるものがありました。

この企画に参加されている方のブログを拝見させていただきましたが、どれも非常に面白いです。
直接英語教育に関わりのない方も一読の価値はあると思います。

僕もこの記事を書くことによって参加します。
まだまだ24年と少ししか生きていないのでそれほど長い英語学習歴ではありませんが、自分には自分の英語学習歴があるわけなのでできるだけ思い出します(笑)
英語教育に携わるようになった英語学習のきっかけもいくつかありました。そういうことも紹介していければと思います。



では、以下自分の英語学習歴です。



1.小学校


小学校中学年までは、正直英語のことなんかさっぱり分かりませんでしたし、あまり勉強しようとも思っていませんでした。
その証拠に、今もNHK教育でやっている英語関連の番組などは、何を言っているか理解できなかったのであまり好きではありませんでした。
アルファベットの歌は知っていましたが、知っている言葉も「ハロー」「サンキュー」くらい。
たしかこのころから僕の通っている小学校では国際理解の一環として月に一回くらい外国人の人が学校に来てクイズ等をする授業?があったのですが、なぜか全く記憶にないという(笑)
ここまでだとなぜ英語教師になろうと思ったのか自分でも疑ってしまうほどですが、しばらくして一つ目の「契機」が訪れます。

小学校高学年になったある日、友達と昼休憩に体育館で遊ぼうとしていたときのこと。友人Aと友人Bが何やら英語(らしき)会話をしている!
実際には "Nice to meet you."などといった定型的な表現だったと思うのですが、それでも当時の僕にとってはわけのわからないことばで急に友達が会話を始めたのでびっくりしたのを覚えています。
おそらく彼らは学習塾か何かでその表現を習ったのでしょうが、「英語ができないとコミュニケーションが取れない」といった実用的危機感(?)のようなものを小学校5,6年生の段階で強く感じた瞬間でした。
それでも当時どう英語を勉強すればいいのかわからず、中学生になれる日を熱望していたような気がします。


2.中学校


前述したような動機があったため、中学校に入って英語の授業には真剣に取り組みました。
基本的に(良くも悪くも)真面目な性格なので、テスト勉強も頑張り、英語の定期テストは90点以下取ったことないような気がします。
ただ、これも小学生のときに経験したことだけではできなかったことだと思います。
中学生のときにさらに自分を英語の世界に引き込んでいったことがいくつかあります。

まず一つ目。先生に恵まれたこと、つまり、良い英語授業を受けられたことです。
今でも中学校の授業で訳読式授業『ばかり』(←重要)行っているところは多いと聞いたことがありますが、僕は逆に中学校ではあまり訳にこだわった授業は受けなかった気がします。もちろんドリル的な活動で和訳問題等を集中的にしたこともありますが。あくまで一手段だったと思います。事実このドリル活動のおかげで文法がだいぶ頭の中に定着した記憶があります。
例えば歌を聞いてディクテーションしたり、会話練習(ロールプレイみたいなもの)をしたり、はたまた早押しクイズ(各グループに一つ早押しボタンがあり、一番最初に押したグループのランプが光る、という装置使用。あれどこに売ってるんだろう。すごい欲しい。)などなど。非常に面白い授業でした。
ちなみにその先生とは去年の教採の会場でお会いしました。キャリアアップされたそうです。

そして二つ目。理由は忘れてしまいましたが、中学二年生のある日、学校にいくとオーストラリアから来たという外国人(同じ中学生でしたが当時は大学生くらいに見えました)がいました。ちょうどその日に僕のクラスで英語の授業があったので、彼らと話をすることに。
各グループに一人オーストラリア人がつき、会話をするという活動だったのですが、自分がおそらくグループの中で一番英語ができたのでしょう、質問を考え、言葉にする担当でした。
そこで、中二レベルのつたない英語ではあるものの、なんとかコミュニケーションをとることができたのです。その時のうれしさは、今も覚えています。

このような良い環境の中、良い経験ができたので、高校に進む時も国際コースのある公立進学校を志望しました。


3.高校


高校は前述した高校の国際コースに入学。
しかしながら、コテコテの訳読式授業に圧倒される。
さらに英語の先生が筆記体で板書をされていた。中学校で筆記体を習っていなかった自分にとっては未知の記号。パズルのように何とか解読はできるようになった。
また、部活動(バドミントン部)に所属しみっちり練習していたので授業中に居眠りをすることも多々。
文法で話法を扱った時のテストなんかもう悲惨でした。
そして少しずつ、学校での英語学習に興味がなくなっていく…
たちの悪い生徒だったと思います(笑)

少しずつ英語学習は塾でやることが多くなっていったのですが、高一の冬に「ターゲット1900」の存在を塾の先生に教えてもらい購入。同時に塾のクラスも一つ上のクラスに変更。
塾の授業は週に1回2時間くらいだったのですが、その中で毎回「ターゲット1900」のテストをしていったのはよかったと思います。はじめは週に50個、2週目からは週に100個覚えてくるというもの。
覚えるのも回答するのも友達と採点するのも骨が折れる作業でしたが、これがよかった。
電車通学だったので空き時間によく覚えていました。これで部活をしながらも(さらには学校の授業をあまり聞いていなくても…)ある程度の学習習慣がついたと思います。

また、当時の僕はリーディング力が低かったのですが、その部分も塾の先生から受けた講義が大きく変えてくれました。
その名も、「精選構文集」。
塾の授業の中で「精選構文集」を用いた学習の流れはこちら。
①4~5行の英文を日本語訳する(でもできないところは放置でOK)。
②訳文(答え)プリントをもらい、解説を受ける。総合的に、文章の中で文法などを学ぶ機会となる。
さらに家庭学習で以下のことをする。
③塾で学んだことをノートにまとめる(英文も張り付ける)。
④英文を暗記する。
そして次回の授業で
⑤英文を「完璧に」書く(再現する)。

当時は苦戦しながらも頑張って取り組んでいましたが、こうして振り返ってみると、実に複数の技能が求められる体系的な学習であるということがわかります。この学習のおかげで英語に関しては学年トップレベルになれました。
日本史も大好きな僕は社会の先生もいいなと考えていたのですが、これは英語の先生になろうということを決めた大きなきっかけとなりました。
(後々日本史は趣味だと悟り、自分の判断は間違いではなかったと確信しました。)

学校の授業はないがしろにしていた僕ですが、高校3年生のときに国際コースの英語を持ってくれた先生の授業が非常に面白く、その先生の授業は必死に勉強しました。
CNNを聞いてディクテーション、定期テストにTOEICの問題が出てきたりと、先進的な授業だったのではないでしょうか。
その先生に直接指導していただき、推薦入試で広大教英に合格できました。
やはり僕は先生に恵まれています。


4.大学・大学院


大学に入ると、先輩の影響で、まず「多読」にはまりました。
1年生のとき図書館のペーパーバックを読み漁ったことを覚えています。
このことにより「読み下し」の感覚が身についてきたように思います。
また2年生のときにイギリスに留学に行ったことも大きな経験でした。
多読に加え、ホストファミリーとの会話、ステイ先の自分の部屋にあるテレビでリスニング(なんとテレビに字幕もつくすぐれもの!)と、学校での授業以外でも多くの学習法を試しました。
留学から帰ってくるとそれが結果として現われました。
また、友達のすすめでPodcastを利用した学習も始めました。
大学院では論文を読むことも英語学習…になったのでしょうか。


まとめ


僕の英語学習はもとをたどると、成績を上げるといったことより、
「コミュニケーション」ができるようになるためといった位置づけが強かったように思います。
「通じた!」と思わせられる仕掛けをどれだけ用意するか、が大事なのでしょうね。
だからこそ訳読式「のみ」の授業には否定的な見方を取っているのです。
生徒の意欲も考慮に入れた授業づくりが必要なのでしょう。

また、大学に入ってからは自分でいろいろな方法を試してきましたが、その土台となる力はそれまでにつけておかないといけないんだろうな、とも思いました。

自分は、特に高校のころ学校の授業をあまり大切にしていませんでしたが、
「学校の授業がわかりやすい、面白い、力がつく!」と思ってもらえるような授業をしていきたいなあ、と。



いやあ、しかし僕はほんと先生に恵まれてたんだなー。


英語教育ブログみんなで書けば怖くない!企画
http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20110301/p1)に参加します!

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